| 宮藤牧師「この近所の教会の牧師をしております宮藤でございます。牧師をしておりますが、聖書は不思議な書物だと思っておりまして、皆様はどう思っていらっしゃるのか知る機会が実はございません。こういう会が始まる事を偶々知りまして、是非参加させて頂こうと思いました。どうぞ宜しくお願いします。」出席者A「牧師さんは旧約聖書についてはどう思ってるんですか?」「そうですね。どうおもっていると言いましてもキリスト教の牧師ですから、書かれてある通りの事しかありませんので、そのままですね。」「そうするとご自分の捉え方というものは、失礼ですが……」「はい!信仰が唯一のものですので、自分の捉え方と言うのは特に……」「無いという事ですね?」「いえ、そう言う事ではなくて」「わかりました!この辺で止めておきますが、私は自分の考え方と言うものがあってもいいと思うタイプですので、お聞きしました。」「そうでしょうか?真理とは自分の考え方如何に関わらないと思っておりますので…」「それではトーラーにと言うか旧約聖書にどう書かれているか、確かめてみましょう!」 |
小説✡️『トーラー・スケルトン』
キリスト教聖典「旧約聖書」を本来のユダヤ教聖典として読み直す実況小説。
Saturday, August 22, 2015
Thursday, July 16, 2015
| 「居酒屋で聖書を読む会」を始める |
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ここは最近になって川が綺麗になったこともあり川沿の桜並木に人が集まるようになってきた処である。川沿いに何軒か飲食店もチラホラできかかっている中に居酒屋とカフェを繋げた様なポリシーの読み辛いオーナー物件が突然出現したのである。 司会者「今晩は!本日の司会を務めさせて頂きます油田(アブラダ)と申します。さて、本日、お忙しい中をお集まり頂きまして、ありがとうございます。この会はキリスト教の方もそうでない方、神道の方もいらっしゃいますが、政治的に右側の方もいらっしゃれば、左側の方もいらっしゃると思います。旧約聖書に少しでも関心をお持ちの方々にお声を掛けさせて頂きお集まり頂きました。学生の方も参加頂いております。本来ならば何処か静かな会議室などお借りした方が宜しかったのですが、お仕事をお持ちの方も多くいらっしゃいまして、皆様の出席し易い時間と言いますと、この様な時間から、この様な場所で催す事に相成りました。従いまして、皆様、お気軽にお好みのお飲み物、お摘みを会費とは別途になりますが、適当に自己負担で、会場提供していただいたこちら『虎庵』さんに、たくさんオーダーして頂きたいと存じます。実は旧約聖書は元々はユダヤ教の聖典だったのはご存知でしたでしょうか?いまから約二千年前にキリスト教が成立してから旧約聖書として拝借と言う表現が相応しいかは何れ皆様のご判断にお任せする事にしまして、引き継いだ訳ですね。過激な方に言わせますと、ユダヤ教から剽窃した等と仰る方もあるやに聞いております。」「さて、本日のメンバーの中には旧約聖書を読むには丁度側面から協力して頂ける方を見つける事が出来ました。ご存知の様に旧約聖書は主にヘブライ語で書かれております。本来はユダヤ教の聖典でございますから、ヘブライ語について造詣深くていらっしゃるイスラエル留学の経験もおありの猪崎先生にお出で頂きました。 ご紹介致します!猪崎先生です!先生!一言ご挨拶お願いしたいと思います。」 猪崎「猪崎でございます!私は先生と呼ばれた事がありませんし、その様な積もりでこちらに伺ってはおりません。どうか、先生は止めていただきたいと思います。私がこちらで出来ます事は原典でるヘブライ語の読み方を、僭越ではございますが皆様と、共有出来れば幸いと考えております。聖書はどうしてもヘブライ語で読まなければニュアンスが伝わらない処もあると思いますので、少しずつで結構なので、勉強出来たらと思っております。皆様の中でイスラエル中東地域のご旅行を企画されていらっしゃれば是非お手伝いさせて頂ければと思います。」(笑)(拍手) 邑久「邑久と申します。中東はテロがあると聞いてるので怖くないですか?」「外務省の渡航情報は正確になってきてますので、今の時期でしたら、イスラエル、ヨルダンは大丈夫だと思いますよ!実際の出発日に近くなりましたらネットで調べれば正確に判ると思いますが。」邑久「いやあ、そうですか?テロは何時起きるか解りませんからねえ!怖いですよ!聖書の舞台がテロの舞台とは考えられませんよねえ!」「確かに、人の集まるところには気を付けた方が良いんですがね!聖書を産んだ土地に一度は行ってみては如何でしょうか?」 邑久「」/…… 司会者「私は田梨と申します。私はみなさんの様にキリスト教的関心がある訳ではありませんで、専らユダヤ趣味でここに参加させて頂いております。要するに、ユダヤを勉強して金儲けが出来ればと考えてるだけの下衆な人間でございます。どうぞお許し頂ければと存じます。/……」 |
Sunday, June 21, 2015
| 目論見 |
| 後二年程で七十の齢を見る事になる団塊の第一世代ですが、恐らくこの目黒の地をもはや離れる事はあるまいと思う。そこで前から温めていたユダヤ教の聖典「トーラー」をキリスト教から切り離して本来のユダヤの目で見る事を試みようと考えている。もうキリスト教徒の好きにはさせない!トーラーはキリスト教の付属物=旧約聖書として読む事には最早限界ありと言う思いで。キリスト教のバイアスから解放しなければ日本人は永久に誤解の暗闇、迷路から出る事は出来ない。東京は目黒の地。ユダヤ的視野を世界の辺境に追いやる事は何時迄も続ける訳には行かない。何故日本人がユダヤ教の視座を理解しなければならないかの根拠は追って明らかにするが、ユダヤは他者ではあっても普遍的な視野を有していると言える。更に、日本は明治維新以降の習いとして、西欧が全ての模範として来てしまった為、西欧の精神的基盤となっているキリスト教の思想も無批判に密輸入していた事を認めざるを得なかったと、思わざるを得ない。それでは、キリスト教は果たして出身母体のユダヤ教を正当に理解し咀嚼した上で成立していたたのだろうか?それを見直さなければ、途方も無く長い時代ユダヤ人が作りあげ守り抜いたユダヤ教を誤解したままの継承だったのだとすれば滑稽の極みとしか言い様がない。このユダヤ教の聖典「トーラー」を正当に理解する事が日本が西欧のお追従に終わらせてしまった事、従属的思考を止め自立的な文化形成を出来るかを視野に入れ得る事になろうと言うものなのだ。そこで、私は日本人が気付きの道を探ろうと思います。/…… |
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